奈古神社〜瓊瓊杵尊礼拝〜
両側が美しく苔むした参道を抜け、階段を登ったところに本殿(*1)はあった。

登った階段の左脇には手水舎があり、水は井戸水で飲むことができるほどだった。むしろ、美味しくていくらでも飲めるように感じた。
正面の本殿を見ていたら、ふと軽く、頭がクラクラした。
なんだろう?と思いながら、本殿裏にある御神木の前まで移動し、手を合わせる。

あまり人が手を合わせに来ないのか、足元はだいぶ苔むしている。
手を合わせながら、自分の願い事を伝えようとする。
しかし突然、胸から歓喜の思いが溢れてきた。
全身が喜びに満ちて感極まる。
ただ、ここで、手を合わせていられることの幸せに感謝を伝える。
本殿左手奥には昔の古墳があると言う。
伝承と調査により、瓊瓊杵尊の墓である可能性が高いと言う。

神話上の人物のお墓?
ロープが張られたり、立入禁止の立て札はない。自由に出入りできることに驚く。
同行者(*2)は指を鳴らしながら登っている。結界を無事に抜けるよう導いてくれているようだ。少し苔むしている階段を一歩一歩登っていくと、嬉しさが少しずつ増してきた。涙が出そうになる。
登った先に見える、正面にあるのが、瓊瓊杵尊の祠だと言う。
正面に立つと、本殿裏手での至福感が、何十倍にもなったような多幸感が全身に満ちる。体が膨らんでいるように感じる。
もともとそこにあった多幸感の海に身を浸しているようにも感じる。
頭が麻痺しつつある。
白い、神聖で清浄なエネルギーが、天上界からとめどなく頭頂を通して体の中に入ってくる。
エネルギーが清く力強いために、頭が痺れるようになっているのか、と理解する。
ふと目を開けると、いや、ずっと目は開けていたのだが、目線が祠の右側の落ち葉が積み重なった空間に向かう。
まるで、そちらに避難しなさい、と導かれるように体が勝手に動く。
エネルギーが弱まり、頭頂部の痺れが減ったので、少しの間、そこで休憩させて頂く。
そういえば、祠の前でお願いごとしたけど、何を願ったんだっけ?と思い出してみる。
エネルギーが強烈すぎて、体が半分自動的に動いているような状態だったため、直前のことすらすぐ思い出せなかったのだ。
そうだった。
幸せすぎて、個人の願い事はとてもじゃないけど湧いて来なかった。
今この瞬間、自分も世界も繋がっていて喜びに満ちていて不足がないから、これ以上何もお願いすることが湧いて来なかった。
なんとか絞り出したのが、この幸せをいつでも感じられますように、だった。

家に帰ってからも、瓊瓊杵尊の祠の前にいた瞬間を思い出す度に、多幸感に満たされる。
早朝、ただ座り、思い出すことで、多幸感に満たされる。
時間があっという間に経っていることに驚く。
思い出す度に、ハートは浄化され、とても心地よい。
瓊瓊杵尊は早速願い事を叶えて下さっていた。
◯説明
*1:本殿:奈古神社
*2:同行者:佐藤天龍さん
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